2010年10月07日

付き合う奴は手前で選べ

 twitterを始めて早数日。Togetterというものを見つけて、おおこれは面白いなと思って色々見てまわっていたのだけど、そこでこんな意見に出会った。

人は、輝いている人間と関ることで切磋琢磨できると言われています。それは裏を返せば有害な人間と関ると悪影響を受けるということです。

 はっきり言う。
 こんなこと、真に受けるもんじゃない。
 
・事実関係
 どのような経緯でこの意見が出たか。その詳細はこちらのページにまとめられているので、ここでは大雑把に記す。大体次のような感じになる。(注1)

1,tadao_Oさんなる人物が最初に「人は、輝いている人間と関わることで〜」とツイート。そしてtwitterで「おすすめできないユーザー」リストを作成。
2,当然ながら、上記のリストに入れられた方から文句が出る。
3,色々と口論に。なおこの過程で、tadao_Oさんはリストを削除したり、アカウントを変更、削除したりしている。


・有害な人間とはどんな人間か
 誤解を招きかねないのでことわっておくが、この一連の騒ぎについては、以降特に触れることはない。ここでは単に、tadao_Oさんの意見である「人は、輝いている人間と関わることで〜」のどこに間違いがあるかを述べていくだけにとどめる。
 話を戻す。tadao_Oさんの意見は二つに分けられる。
 一つは「人は、輝いている人間と関ることで切磋琢磨できる」というもの。これについてはあまり異論はないかもしれない。ただ私は、必ずしも正しいわけではないのではないかと思っている。「輝いている人間」と接して引け目を感じたり、ねたましく思う人間もいるからだ。
 つまり、輝いている人間と関わっているからといって、切磋琢磨できるとは限らない。
 次へ行こう。こちらが本題だ。
 それは「有害な人間と関ると悪影響を受けるということです」というもの。tadao_Oさんはこの「有害な人間」なる方々をリストにまとめて公開していたようなのだけど、今のところそのリストは見ることができない。なのでtadao_Oさんが「どんな人間が有害だと考えているか」を知ることはできない。ただ、私なりに「有害な人間」の例を考えることはできたので、そこから話を進めていきたい。

1,あなたは学生で、同じ組に素行の悪い同級生がいる。その同級生は、あなたを含め同じ組の人たちに多大な迷惑をかけている。そして、あなたを含めその同級生以外の人たちは「ああはなりたくない」と素行の悪い同級生を見て思ったとする。

 さて、この素行の悪い同級生は「有害な人間」だろうか? なるほど周囲の人に多大な迷惑をかけているわけだから、「有害な人間」かもしれない。しかし、「ああはなりたくない」と感じるのは悪い影響ではない。反面教師、という点で見れば、「有害な人間」とは言い切れない。
 これだけだとさびしいのでもう一例。

2,ある上司と、出張中の部下がいる。お互い離れたところにいるので、メールや電話でやりとりをしている。上司はことあるごとに部下に助言を出すが、しかし同時に激しく叱責もし、部下はそれにびくびくしながら仕事をこなす。最終的に部下は上司の助言によってそこそこの成功をおさめ、出張から戻る。

 くどいようだが設問を。この上司は部下にとって「有害な人間」だろうか? 部下は成功をおさめているのだから、有害ではない? では人におびえながら生活するという点は害ではないのだろうか。

・有害なのは行動だ
 今二つの例をご覧いただいたが、どうだろうか。
 あくまで私の意見だが。ここにあげた「素行の悪い同級生」や「上司」を「有害な人間」と一方的に決めつけることはできない。理由は反面教師、助言の二言で十分だ。仮に「有害な人間」であったとしても、「悪影響を受ける」と言い切ることはできない。理由はまたも先の二言で足りる。
 つまり、人を見て「その人が有害か否か」という判断を下すことにはあまり意味がない。とすると、tadao_Oさんの「有害な人間と関ると悪影響を受ける」という主張もあまり意味を持たない。意味があるとすれば絶対に有害な行動しかとらない人間を対象とした場合だが、そんな人はおそらくいない。
 しかし実際、1,の「多大な迷惑」も2,の「激しい叱責」も、有害でないとは言い切れない。どういうことか。
 いや、引っかからないと思うが、「多大な迷惑」も「激しい叱責」も、人ではない。ここから何が言えるか。
 それは、人が有害なのではなく、人がとった行動こそが有害である、ということ。
 tadao_Oさんは不快なツイートを読んで、そのユーザーが有害であると判断したようだが、ここで有害であると言えるのはあくまで不快なツイート、より範囲を拡げても不快なツイートをしたことであって、そのユーザーまで有害だと言うことはできない。なぜならtwitterはその人自身をそっくりそのまま映し出すような代物ではないからだ。

・解きほぐして考える
 強調の意味も込めて、もう一度書き直す。
 人を見て、というより人の一面をのぞいただけで「その人が有害か否か」という判断を下すことには意味がない。もっと言えば、ばかばかしい。人が有害かどうか判断するのではなく、その人がとった行動が有害かどうかを判断すべきだ。その方が有益だ。
 これには人がとった行動を一つひとつ、解きほぐすことが大事だ。
 そうして解きほぐした行動を、各々有害かどうか判断すれば良い。
 行動の何が有害で、何がそうでないのか。それは各個人が判断するしかない。ある人にとっては「良い点」に映っても、また別のある人には「悪い点」に映る、というのはよくある話だからだ。自信と過信、なんてものが良い例だろうか。

・まとめとして
 私がこの一件を見て感じたのは、「人を判断することがいかに難しいことであるか」ということだった。人を誤りなく判断するには、やはり並外れた「人を見る目」が必要なのだと思った。ただ、並外れた、というところまではいかなくとも、ある程度のところまでは「人を見る目」を養うことができそうだとも思う。直感ではあるが。
 最後に、tadao_Oさんが受験指導員をなさっているということなので、それにあやかってメッセージを載せることで、この稿をしめくくりたい。
 中高生の人たちへ。
 付き合う人は自分で選ぼう。人に「この人と一緒にいた方が良い」とか、「こんな奴とは縁を切れ」と言われたら、その都度その言葉が正しいかを考えよう。大丈夫。失敗したら周りの大人たちが助けてくれる。
 ただ、もし不幸にもそういう環境にないなら、大変ではあるけれど、そうした環境を探し出すしかない。いや、何としても探し出して、飛び込んでほしい。
 自戒の意味も込め、大人たちへ。
 あなたがもし子どもたちの模範になるつもりなら。その子どもたちが自分自身で人との付き合い方を考えられる、そんな大人になれるように努めてほしい。子どもであれ大人であれ、自分が憧れていたり、尊敬したりしている人物を、他の人も同じようにそうしてくれるとは限らない。そのことを忘れないでほしい。

(注1)事の一部始終に関わったわけではないので、事実誤認の可能性も低くありません。時間軸など、まちがっている点は遠慮なくご指摘をお願いします。
ラベル:思いつき Togetter
posted by ゆーぱち at 19:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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